都江堰のご案内について(5.成都旅游景区) せんせいいまかたがたはじこひとすつえせきせいとしせんしょうきろはなじゅうにごきかくべすとしたきょうあんないかんこうちつえせき先生の方々、こんにちは!今日ご案内したい観光地は都江堰です。今から、初めてもよろしいでしょうか。 だいばんめかんこうしげん第5番目のコースの都江堰は、四川省の十二・五企画のベストたまるいやま観光資源の一つで、成都から60キロを離れた都江堰市の玉塁山の下にあります。 けんがくごごじあんぜんまえちゅういじこうでいぐちあつだんたいこうどうわすさかなくちばしとびすなせきはなおもかんこうちゅうみなさん、見学する前に注意事項についてお話ししたいと思います。かんこうちきょうの午後5時に観光地の出入り口で集まってください。そして観きちょうひんばすきょうかんこうこじかんれきしえんかくきげんぜんねんちゅういわたしすけいたいでんわにおうびょうおもしょうかい光中、まいごご安全や貴重品などを注意して、ぜひとも団体行動で迷子ならなりようお願いします。バスと私の携帯電話をお忘れないようにお願いします。 今日の観光コースは二王廟-たからびんぐち魚嘴-飛砂堰-宝瓶口です。5時間ぐらいかかると思いますが、 つえせきそれから、都江堰の歴史沿革について、ちょっとご紹つえせきひきいませいとへいやちすいすいりこうじせいとへいやげんそんほうふはつつみきずいさんだいびんえじどうてきこうじみずみず介いたします。 じもとひとびとすももこおりおやこ都江堰の水利工事は紀元前256年に李すいがいぼうしゆいいつきょうきゅうげんそんかんがい氷親子は地元の人々つくねんへおおもっとしゅふるを率いて、成都平野に水害防止や灌漑などのために造られたのです。すいりこうじすいがい今でもよく現存している唯一の水利工事で、2200年を経てもやはりかんばつ成都平野に豊富な水を供やくわりかわとびすなせきとくちょう給して、水害、旱魃にしても大きなすいりしせつ治水の役割を果たしております。現存する水利施設としては最も古いなかさかなくちばしもので、川の中に堤を築いて水を分流されています。主にたからびんぐち魚嘴つえせき、飛砂堰、宝特瓶口と言う三大の工事からなっております。都江堰のしぜんじどうてきみずうちえぶんりゅうていぼうさかなくちばし徴としては、堤防なくても、岷江の水を自然自動的に分びんえ流でそとえわきます。それに、魚嘴が自動的に岷江の水を内江と外江分け、とびすなせきこうずいじみずじどうてきるはいしゅつもともとかんがいめんせきかごんたからびんぐちみず飛砂堰が洪水時の水を自動的に排りゅうりょうじどうてきるこんとろ出し、また宝瓶口に水かんがいめんせきまんへくたちょめいさっかの流やくる量を自動的にコントロールしています。元々の灌漑面積はいまつえせききせきいやくまんへくたせかい約13万ヘクタールでしたが。今都江堰の灌漑面積が約70万ヘクターすいりこうじルで、世界の水利工事の奇跡と言っても過言ではないんです。著名な作家よあきさめせんせいばんりちょうじょうあおじょうやまちゅうごくつえせきゆねすこれきしじょうおもせかいぶんかいさんとうろくいちばんかんどうねんである余秋雨先生も「中万里の長には、青でんせつにんりょうし国の歴史上には一番感動させるのが城ではなく、都江堰だと思います」とおっしゃいました。2000年城山とともにユネスコから「世界文化遺産」として登録されとうじつかびんえあくりゅうしたうめやまていました。 伝説によりますと、当時の岷江には悪ふしりゅうかん竜がいました。梅山からの7人の猟師がそれを捕まえて、伏す。 きょうとびすなせき竜観の下に抑(おさ)えられたそうでせつめいみないまみおもたからびんぐち今日は飛砂堰、さかなくちばしぶんすいつつみ宝瓶口を説明したくなくて、主にあんない魚嘴分嘴水分堤だけをご案内いたします。皆さん、今お見えになっ水堤ですよね。 ぶんすいつつみびんえちゅうりゅうさいこうてんうちえうちえながさかなくちばしぶんすいつつみたのは魚魚嘴い(さかなのくちばし)という分とおそとえふたひとわひとみずおと水堤が岷なが江中流の最高点みずびんえにあり、遠くからごうごうと音をたてながら流れてきた岷江の水を内江とせいとへいげんそとえみちびかんがいようさいごようすこう外江を二つに分けます。一つは成都平原に導いて灌漑用の内江でこうずいじはいしゅつすが、もう一つは洪水時の水を外江へ排のです。 めまえみずかんたんふたじつとうがんでうちえながわ出し最後揚子江に流れるおも目の前の水が簡単に二つに分けられるんじゃないかなあと思っているかたがたぶんすいつつみぶんすいつつみいちきしさかなくちばしかげさまにしほう方々がいるかもしれませんが、実にそれが分その分そとえなが水堤の位置のお陰様です。 水堤の東岸は内江の流れる凹(おう)の岸で、西の方はつびんえちゅうりゅう外江の流れる突き出た凸(とつ)の岸です。魚嘴は岷江中流のはしどしゃおおすくかそうまなかみずまりゅうたいりきがくげんりしぜんうちえりようながどしゃいちばん端の真ん中にあり、流じょうそうみず体きし力へ学の原理をたくみに利用して、土砂の少ない上層の水が凹の岸を経て、自然に内江へ流れ、土砂のきしそとえなんやくわりながはかっすいきわりひすなながみずそとえせいとへいやいかんばつくにいかたとおこうずいいすくびんえまひょうめんみず多い下層の水が凸の岸を曲がってそのまま外江へ流れます。 それから、魚の嘴(さかなのくちばし)は何の役割を果たしていますか。 うちえわりせいとへいやかたちうちえげんだいどしゃきずすなおおかしょうひいそとえひくつまり、内江の河床は外江より低いことから、渇水期には岷江の水をぞうすいきさかなくちばし6割成都平野に引き入れ、増水期には4割しか引き入れませんでした。曲がった形に築かれているこのそこ魚みずりろん嘴によって、砂の少ない表面の水そとえがっちが内江に、砂の多い底の水が外江に流れるようになっています。これはりゅうたいりきがく現代の流体うちえ力学の理論と合致しています。いわゆる「水の40%にみずむかしどしゃしせん土砂の20%が内江へ、水の60%に土砂の80%が外江へ」と言う言い方はこの通りです。そのおかげさまで,昔の四川の成都平野は旱魃にしても洪水にほうふみずすいりこうじとびすなせきてんねんしげんかげしても豊富な水があってこそ天然資源にめぐまれた国になりました。 つえせきそれは都江堰の水利工事のお陰ではないでしょうか。 それではつぎに飛砂堰の方へご案内しましょう。 いじょう以上です。どうもありがとうございました。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/2d8b8179bd64783e09122b7c.html