No.01 『ナイン』(NINE) 甲子園より女の子!?初のオリジナル連載作品! 『NINE』 ——少年サンデー1978年10月増刊号~80年11月増刊号 中学の短距離記録保持者の新見克也と親友の唐沢進は、青秀高校の野球部の試合を観戦に行く途中で痴漢を撃退する美少女、中尾百合と出会う。球場で再び顔を合わせることになった四人。克也と唐沢は、その少年が中学野球大会の優勝投手だった倉橋永二だと気付くが、倉橋は父親に野球の道を反対され、失意の毎日を送っていたのだった。一方青秀高校のコールド負けに終わった試合を見て涙を流し、球場を去った痴漢撃退少女…克也と唐沢は、名もしらぬその美少女を悲しませないために、野球部への入部を決意。偶然にも、四人はクラスメートとなる。克也と唐沢、そして実は野球部監督の一人娘でもあり、野球部のマネージャーとなった百合の三人は、なんとか倉橋の父を説得し、倉橋を野球部へと入部させることに成功。四人の甲子園を目指す日々が始まり。 やがて百合の幼なじみであり、甲子園のヒーローでもある山中健太郎や中学の時から克也に憧れていた少女・安田雪美などの登場により、克也達を巡る青春模様も一層にぎやかに… やがて迎えに最後の夏、青秀高校は甲子園出場を果たす… 解説という名のラブレター 【ナイン】THE MEMORY OF NINE 何者でもない時間 1970年、少年サンデー臨時増刊「デラックス少年サンデー」12月号に掲載された『消えた爆音』(原作/北沢力)により、あだち充は十九歳でプロマンガ家にしてデビューした。 それ以降は、当時の多くの新人マンガ家がそうであったように、原作ものを中心に読切、短期集中連載などの作品を定期的に発表していた。 「適度な仕事量で自由になる時間がたくさんあった。幼なじみの友人や新人漫画家仲間たちと毎日のように喫茶店に集まって一日中いろんなことを語り合ったり、旅行に行ったり、麻雀したり、本当に楽しい時間を過ごせた。自分にとって最も『青春』と言える時期だった」(※1) 1970年代、少年マンガ界は劇画全盛時代であり、あだちも「編集部の意向に沿うように」(※2)原作付きの「劇画」を描き続けた。もともと樹村ものり、矢代まさこなどの少女マンガ好きで、デビュー前のマンガ雑誌「COM」投稿時代の作品も少女マンガ誌に近い作風だった。 少年誌で「無理をしながらがんばってみた」(※3)がなかなかヒット作に恵まれず、担当編集者の人事異動なども重なり、70年代後半には活動拠点を少女誌に移す。デビューから八年が経過していた。 そんな中、『ナイン』は、二年振りの少年マンガ誌復帰作だった。 第一話は読切のつもりで描いたものが運良く連載になった。それはこれまで通り少年誌を意識した作風だった。 しかし第二話、あだちは「好きなことをやろうと」(※4)、自分にとって無理のない少女誌の作風を入れる。それは、少年誌と少女誌のテイストが絶妙に混じり合ったまったNo.01 『ナイン』(NINE) く新しい作風になった。 意外にも、第一話より読者の反応もよかった。これだという、手応えを感じた。今に続くあだち充の“文体”が出来上がった。 スポーツと恋愛と友情と青春と。それらについて、多くを語らず、小さな声で、少々照れながら、行間で表現する。 「読者とキャッチボールができているという感覚を持てた」(※5)というように、あだち作品は時代とリンクし始めた。当時はまだ少年誌においてマイノリティな感覚だったが、『みゆき』、『タッチ』と、文体はより強固となり、その作品の感受性は、時代と共に拡大してゆく。 『ナイン』は、あだち充のターニングポイントとなった出世作である。 甲子園を目指す野球部の面々が中心となって物語は進むが、野球のシーンよりむしろ、合間に挟まる恋愛や、学園生活の日常の挿話が印象に残る。 最終話では、三年間の部活動を終えた主人公たちの、卒業までの猶予期間が描かれる。 ひとつの時間が終わり、その先にそれぞれに新しい人生が待っている。何者でもない、おだやかで美しい時間。 それはひとつの終わりではあるが、また、新しい始まりでもある。 ※1 「ゲッサン」2010年11月9日号別冊付録/小学館 ※2~※5 「クイック・ジャパン」62号・2005年10月発行/太田出版 ◆文/森山裕之 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/5d58b208bb68a98271fefaa2.html