人間と自然界の生物たち 人間が生きていく為には、どうしても木材が必要である。また、山奥の人々の生活を便利するために、森を貫いて道路を造るのもやむを得ない。穀物や野菜など、土と太陽の恵みである農作物も、収穫を増やされなければならない。しかし、新しい技術が次々と開発され、地球の上で人間の活動が盛んになればなるほど、自然の破壊は進み、私たちの周りの水も空気も汚れていく。その結果、人間自身に不幸をもたらしている例が、なんと多いことだろう。だから、私たちが自然の資源を利用し、開発を進めながら、一方では、自然を守る為にはどうすれば良いかを真剣に考えなければならないのだ。 それには、先ず、自然界の生物たちは、互いにどんな具合に繋がりあい、影響を与え合ったいるかを、正しく理解しておくことが大切なのである。 そして、忘れてはならないのは、人間は地球上の生物の一員として、他の生物たちとともに生きているということであり、自然に頼らなければ、決して生き続けることはできないということである。人間が末永く栄えていくためには、今、手当たり次第に自然を壊し、自然を蝕んではならないのだ。自然を守る、ということは、つまり人間自身のためである。 伊藤 和明 「自然を守る」 木曾路整个儿都在山里。有些路段是沿着陡壁的悬崖之路,有些路段又在数十丈深的木曾川的岸边,有些路段则又在山脚下的山谷人口处。连绵不绝的道路贯穿了这森林茂密的地带。东起樱泽,西至十曲岭,木曾十一客栈就在此路旁,分布于二十二里(注:1日本里=3.93公里)多的长长的峡谷之间。 由于此路的位置也几经更改,不知曾几何时,古道已埋没于深山峡谷之中。连那有名的栈道也不在须手攀山藤才能通过的危险地段,到了德川幕府时代的末期,已出现了通行无阻的桥梁。随着不断地翻修,路的位置也降到了峡谷的下方。 狭窄之处铺上了木头,用山藤捆扎牢固,以增其路宽。木曾路长期以来的这种变化,已使得许多险恶的坡道渐渐地好走起来了。然而,其代价是,每当大雨倾盆,河水泛滥之时则使路人一筹莫展,往往就只得在就近的客栈中淹留以待道路的开通。同时,这条道路的变迁也向人们述说着长达几个世纪的封建时代之发达,以及周密组织之良苦用心。因为在要搜查火枪,盘问妇女,严格管束旅行者的时代,再没有比这儿更加要害的地形了。 岛崎 藤村 《黎明之前》 原文: 木曽路 きそじ 木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、木曽十一宿はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷の間に散在していた。 しゅくそけいこくさくらざわじっきょくそばがけ 道路の位置も幾度か改まったもので、古道はいつの間にか深い山間に埋れた。名高い桟も、蔦のかずらを頼みにしたような危ない場所ではなくなって、徳川時代の末には既に渡ることの出来る橋であった。新規に新規こと出来た道はだんだん谷の下の方の位置へと降って来た。 くだかけはしつたいくたびやまあいうずも 道の狭いところには、木を伐って並べ、藤づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曽路に起って来た変化は、いくらかずつでも険阻な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫が旅行を困難にする。その度に旅人は最寄り最寄りの宿場に逗留して、道路の開通をまつこともめずらしくない。この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほど好い要害の地勢もないからである。 ようがいげんじゅうへんせんもよとうりゅうけんそ 島崎 藤村 「夜明け前」 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/677216aad1f34693daef3e99.html