焼酎

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鹿児島県伊佐市大口大田の郡山八幡の社殿から発見された墨書木片(大工の落書き)には、1559年(永禄2)この地方で「焼酎」が飲まれていたことを示す記事があった。「焼酎」の語は中国になく、日本でもこの木片の文字が初見である。『和漢三才図会』1713には、「焼酒」の項に「しやうちう」「シヤウツユウ」と仮名を振り、「火酒、阿剌吉酒、今焼酎ノ字ヲ用フ、酎ハ重醸酒ノ名也、字義亦通ズ」と解説している。阿剌吉酒は、アラビア語のアラック(汗とか蒸散の意)が語源で蒸留酒を意味し、同様の語が中国や東南アジアでも通用している。肥前(佐賀県長崎県)肥後(熊本県)あたりでは荒木酒、荒気酒と書いた例もある。

中国で初めて南蛮焼酒―阿剌吉阿里乞の記録が現れるのは元朝1314世紀)であり、1477年(文明9)には沖縄に南蛮焼酒のあったことが済州島民の漂流報告で知られる。これらの焼酒を蒸留する器具はアラビア語でアランビックとよばれ、日本でもランビキ(蘭引)とよんでいる。中国人は、阿剌吉を南蛮(雲南地方)より伝わったものとし、沖縄では南蛮から伝来したものとしている。縄に伝わった南蛮焼酒はのちに泡盛とよばれるようになるが、この製法はやがて薩摩(鹿児島県)に伝わり、焼酎となるのである。 沖縄鹿児島の焼酎は、米あるいは黍粟などの雑穀を原料として麹を加えて仕込む「醪取り」であったが、17世紀後半には他地域にも普及して、清酒の搾り粕を蒸留する「粕取り」も行われた。い


も焼酎が登場するのは甘藷が伝来し、普及した江戸後期のことである。

江戸時代には、焼酎はみりん、白酒作りに用いられ、さらに草根木皮を加えて長寿薬として屠蘇酒や保命酒などがつくられた。


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