話題:中国の「教師節」 やりすぎじゃない? 「教師節」の高額プレゼント合戦―中国 9月10日は「教師節」だった。1985年、教師の地位の向上を目標に制定され、日頃の先生への感謝を表す日でもある。だが、これが思いもよらない方向に行ってしまっているようだ。 毎年この時期になると、保護者達は一斉に頭を悩まし始める。「贈り物をしたほうがいいか、何を送ろうか、何人に贈ろうか…」。インターネットのショッピングサイトでは、このビジネスチャンスに乗じ、「先生への感謝アイテム」を次々と打ち出している。携帯電話、マッサージチェア、パソコン、ジュエリーまでも! 手書きのカード、ケーキ、花束などがプレゼントの主流ではあるが、「教師節」に高額の贈り物をすることは決して珍しい事ではない。商品券や、海外旅行をプレゼントする保護者までいるというから驚きだ。小学生の子供を持つ中国人ママは私に「先生に問題がある。先生が受け取るべきではないのに!」と怒りをあらわにしていた。 関連ニュース まもなく教師節、激化する「贈り物攻勢」に先生はゲンナリ…中国 中国ではまもなく、学校機関に通う生徒が、担当の教師に日ごろの感謝や尊敬の気持 ちを示す行事「教師節」(9月10日)を迎える。一方、行事の趣旨を利用し、自身の子どもが少しでも良い待遇を受けられるよう腐心する保護者も多く、「高価な贈り物は受け取らない」と示す教師との「かけひき」を展開する。 国際在線などによると、教師節における「贈り物」問題について、小・中学生を子どもに持つ保護者100人と、小・中学校の教師100人はアンケート調査の結果、保護者の約6割が教師節に贈り物をしたことがあり、贈り物をしないと決めている保護者は4割で、うち3割は子どもが何らかの工作物などで教師に贈り物をしている、と回答した。一方、受け取る側の教師は、ほぼ全員が切り花、カードなどの贈り物をもらったことがあると回答。しかし中には、保護者から高価な贈り物を贈られることもあり、うち35%は「受け取れない」と返却するようにしていると示した。 教師節における「贈り物」に関して、教師らは、年々エスカレートする保護者からの「贈り物攻勢」に頭を悩ませているという。ある教師は、教師節を迎えるころになると毎年、担当する生徒の保護者の多くから、食事やお茶の誘いがひっきりなしで、その都度対応に苦慮していると語る。また、高価な贈り物の受け取りを拒否しても、すきを突いてかばんの中に入れられたりするなど、受け取らざるを得ない状況を巧妙に作り出される、とゲンナリしている。 贈り物に多いのは、500-1000元(約6000-1万2000円)の食事の接待や茶葉などの贈答品、ショッピングギフト券などだが、中には「自家用車が多いから」との口実を装い、教師に「貸し出す」名目で自動車を自由に乗るよう促す保護者もいるという。また、贈り物の「エスカレート」度合いは名門校になるほど高く、贈り物の量や価格が高まる傾向にあるという。 このため、一部では◆問題児の保護者からは受け取らない◆保護者の性格や行動パターンによって受け取らない◆保護者の不純な「感謝の気持ち」が表れている贈り物は受け取らない――など、独自に基準を設け、保護者からの「贈り物攻勢」に予防線を張る教師も多く存在。「私たちがほしいのは、感謝の言葉だけなのに」との苦い気持ちをぶちまけた。 一方、「贈る側」の保護者は、自身の子どもが幼いほど、贈り物をして教師の子どもに対する心象や待遇を良くしなければ、との思いが強く、自分たちの「願い」を伝えるため、教師節の時期になると毎年、プレゼント選びに奔走するという。中には、「効果てきめん」と「贈り物」の必要性を力説する保護者もいるなど、教師と保護者の「かけひき」がなくなる気配はない。(編集担当:金田知子) 【中国ブログ】なぜ?日本に『教師の日』がない理由 中国では9月10日は「教師節(教師の日)」にあたり、教師への感謝と尊敬を表す日である。中国人ブロガーの毛丹青氏が「なぜ日本には『教師の日』がないのだろう?」とする文章を発表した。 日本で教授を務める毛丹青氏は、日本で学ぶ中国人留学生から祝福の言葉を受け、感激したと綴る。毛丹青氏が学生の頃、中国には教師の日は存在せず、毛丹青も教師に対して特別な感情を持ったことは無かったという。そんな彼が学生たちから祝福の言葉を受けるということは感激することであり、恐れ多いことでもあるとしている。 続けて、毛丹青氏は「長年、日本で生活しているが、日本には教師の日があるとは聞いたことが無い。それどころか、日本では教育と関係する法定休日は一切存在しない。聞くところによると、1988年に日本の衆参議院で『教師の日』を作るための法案が提出されたそうだが、廃案になったそうだ」と綴る。 毛丹青氏は日本に『教師の日』が存在しない理由として、 1.『教師の日』を制定することによって他の業種に対しても同様の日を制定するよう世論が巻き起こる可能性があった。例えば、『弁護士の日』や『医者の日』などである。 2.日本は儒教の教えが浸透しておらず、師を尊ぶ伝統が不完全であったため 3.日本では教師という職業は聖職ではないためという三つの可能性を指摘している。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/29ff97d8ce2f0066f53322f8.html