日语论文『今昔物语』と芥川龙介

时间:2022-04-08 01:51:23 阅读: 最新文章 文档下载
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『今昔物語』と芥川龍之介



今昔物語集

『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)とは平安時代末期に成立したと見られる説話集である。全31巻。ただし8巻・18巻・21巻は欠けている。編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。また、欠話・欠文も多く見られる。『今昔物語』は便宜的な略称。

インド・中国・日本の三国の約1000余りの説話が収録されている。

『今昔物語集』という名前は、各説話の全てが「今ハ昔」という書き出しから始まっている事から由来している。

成立 『今昔物語集』の成立年代と作者は不明である。

年代 11世紀後半に起こった大規模な戦乱である前九年の役、後三年の役に関する説話を収録しようとした形跡が見られる(ただし後者については説話名のみ残されており、本文は伝わっていない)事から、1120年代以降の成立であることが推測されている。一方、『今昔物語集』が他の資料で見られるようになるのは1449年のことである。 作者 作者についてはっきり誰が書いたものであるかは分かっていない。今昔物語集』『宇治大納言物語』を改訂増補強したものと考える場合、作者は宇治大納言源隆国と考えられる。だが、その説はほぼ否定されている。他にも、南都北嶺といったところに所属していた僧侶が作者という説がある。また、この説についても一介の僧侶が個人的な理由で書いたのか、またはその時代の天皇である白河天皇の庇護下にあった何名かの僧侶によって書かれたのかなど様々分かれている。奇説としては『俊頼髄脳』を著した源俊頼とする説もある。だが、どの説も想像の範囲を超えず決定打に欠けている。

芥川龍之介『羅生門』と今昔物語『羅城門』

共通のあらすじ 羅生門で若い女の髪を引き抜く老婆を見た男が、老婆から衣服を奪い取る話。

相違点 長さ 物語の大枠 登場人物

長さ 今昔は2本合わせても2ページ弱、芥川は8ページ強。分量だけ見ても、現在の著作権法でさえ問題のない引用・参照と言える。もちろん内容的にも、芥川には十分過ぎるオリジナリティーがあるわけだ。

物語の大枠 今昔は「悪」の世界が中心なのに対して、芥川は「善悪の間(はざま)から「悪」に向かうプロセスを描く。文庫本解説には、「善にも悪にも徹しきれない」と書かれてるが、小説の流れを見れば、悪に向かってるのは明らかだ。実際そのプロセスは、「夕方」から「夜」への時間的移行としても明確に表現されている。

登場人物 一方、登場人物を見ると、今昔『羅城門』の主人公は始めから盗人で、最後


も徹底的に悪人らしく振る舞い、老婆と死体の双方から奪い取るのだ。それに対して、い女(生前は主人)の死体から長い髪を盗んで鬘(かずら:付け毛やかつら)にしようとする老婆は、それほど悪人らしくは書かれてない。つまり、対比からも、主人公=盗人の悪が際立ってる。ところが芥川では、主人公はクビになったばかりの下人で、冒頭では、生き延びるために盗人になるかどうか迷ってる。最後も、老婆の衣服は奪うものの、それは悪行と言い訳の説明を聞いた後の判断だし、死体からは奪わず、その後どうなったかも明示的には描かれない。それに対して老婆の方は、最初から妖怪か生き霊のように奇怪な人間として扱われてるし、下人に対する言い訳(後述)もやや聞き苦しい。つまり、トータルで見ると、下人も老婆も同レベルの小市民的な悪なのだ。

『今昔物語集』と芥川龍之介の関係

芥川龍之介の『羅生門』は『今昔物語集』をパクったものだというのは本当ですか? 確かに素材は今昔物語から取っている。

しかし、芥川はその単なる説話に過ぎなかったものを、近代的に解釈して、近代文学して再生させたのである。パクっただけなら、丸写しのはずである。アイデアは今昔物語からとっているが、それは素材を借用しただけ。繰り返しになるが、それを近代人の行き方の問題として、新しく書き直したのである。 そのゆえ、盗作というより、リメイクといったほうが正しいのである。

芥川龍之介が 『今昔物語集』 を発見した、といっても過言ではない。 『今昔物語集』 は) 18世紀に刊行されるまではきわめて限られた読者しかもたなかったらしく、 直接の影響が認められる作品を見いだすのは困難である。近世の読本 (みほん) などには資料として用いられているが、 一般にその文学としての価値が認められるのは近代に入ってからのことであり、とくに、 芥川龍之介の作品や、〈野性の美〉を本書に見いだした彼の評論に触発されてのことである。

(平凡社世界大百科事典『今昔物語集』

『今昔物語集』文学的価値を広く天下に知らしめたのは芥川龍之介の功績と言われている。

(阿刀田高 『エロスに古文はよく似合う』 角川文庫)



(芥川は)『今昔物語に就いて』 というエッセイを書いているが、この一文は、それまで国文学界でもあまり顧みられなかった『今昔』に、まったく新しい照明を与え、その後 『今昔物語』熱の源(みなもと)になったものとして、画期的な評論であった。

(山本健吉 「作品解説」 『芥川龍之介集』 日本現代文學全集24 講談社)



私たちの考え

彼は「今昔」から多くの作品を書いているが、「今昔」の時代背景も、時代考証も、彼にとってはあまり意味がなかったのではなかろうか。もっとくだいていえば、文中に現代の言葉やカタカナ語が出てきたとしてもさして驚く事ではないだろう。


彼にとって必要なのは、家に例えれば、そのインテリアだけであって、家の柱組みは彼自身のもっている理念なのだ。彼の理念を「今昔」の説話を借りて語ろうとしたのだと思う。

しかし、彼は決して「今昔」の設定を借りただけではない。「今昔」を愛し 「今昔」の人間は我々現代の人間と同じであるといっている。しかも彼の言葉をかりれば、 』は野生の美しさに充ち満ちている。…僕は『今昔』をひろげる度に當時の人々の泣き聲や笑ひ聲の立ち昇るのを感じた。…僕等は時々僕等の夢を遠い昔に求めてゐる。 といっているのだ。

小説を書き始めた頃の彼は、生き生きとしていたように思う 「今昔」の世界の中でのびのびと遊んでいるかのようだ。


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