http://bailiedu.com 日语学习资料:天声人语之杜夫大师一路走好 《天声人语》是日本权威报纸《朝日新闻》编辑部集体撰写的时事类短文,内容涉及日本社会的所有方面。对于日语学习者,阅读和翻译它,无疑是了解日本、提高自己日语水平的大好方法。 天声人語2011年10月27日(木) 小学生のころ、こんな俳句を作ったそうだ。〈コオロギがコロコロと鳴く秋の夜〉。大歌人だった父は面白半分にそれを見たが何も言わなかった、とご本人は回想していた。 据说在他还是小学生的时候曾做过这样一首俳句“秋日夜已深,听闻蟋蟀声,咕咕叫不停,告知秋已至”。他自己回忆道,当时身为一代和歌诗人的父亲抱着好玩的心态读了这首俳句,但读完后却一言不发。 ▼亡くなった作家の北杜夫(きた・もりお)さんは本名を斎藤宗吉(そうきち)という。斎藤茂吉(もきち)の息子が下手な小説なぞを書くのは恥ずかしい、との思いでペンネームを使い出した。松本から仙台と寒い地で学んだから北。トーマス・マンの小説「トニオ・クレーゲル」に心酔して杜二夫(とにお)、それが杜夫になったのはよく知られている。 已过世的作家北杜夫本名叫斋藤宗吉。他之所以用笔名,是因为不想让别人知道斋藤茂吉的儿子写的小说很烂,从而丢脸。他曾经在松本、仙台等很冷的地方求学,因此取名为“北”。又因为十分喜欢托马斯•曼的《托尼奥•克律格》,于是用了杜二夫(在日语中,杜二夫的发音与托尼奥相同)做为名字。而杜二夫是怎么演变成杜夫的,想必大家都知道。 ▼父親と同様、医学生ながら文学を志した青年は、その父の存在に畏怖(いふ)と反発を抱いたそうだ。自分が茂吉の子であることを隠し、茂吉のことを第三者として話す習性を身につけたと、若い時代の葛藤を明かしている。 与他的父亲相同,他虽是一名学医的学生,却志在文学。这位青年似乎对他父亲的存在感到一丝恐惧和排斥。他自己也坦露过这段年轻时的内心斗争:隐瞒了自己是茂吉之子这一事实,并且养成习惯,在说起茂吉的事的时候,将其作为毫无关系的第三方。 ▼作家として立つと、詩情ゆたかな純文学と、笑い満載の「どくとるマンボウもの」という2本の筆を巧みに遣(つか)った。故遠藤周作さんの「狐狸庵(こりあん)もの」に先がけて、高度成長期のベストセラーに名を連ねる。 http://bailiedu.com 他在成为作家之后,既写过一些诗情画意的纯文学作品,也写过充满笑点的《独特的翻车鱼航海记》,充分体现出了他写作技巧的两面性。并且先于已故远藤周作的《狐狸庵》,成为了快速增长时期的畅销作品。 ▼日本の文学はユーモアに乏しい。とかくシリアスに傾き、笑うようなものは格落ちとみる風潮に、マンボウシリーズ初作の「航海記」は気持ちよく風穴を開けた。 日本文学向来缺乏幽默,总是十分的严肃,那些能勾引人发笑的作品则被认为有失格调。但《翻车鱼》系列的第一部作品《航海记》却打破了惯例,开了一个很好的头。 ▼かつて雑誌に「私の作品など茂吉の一首にも及ばない」と語っていた。2年前にお会いしたときに問うと、やはり頷(うなず)いておられた。〈父より大馬鹿者と来書ありさもあらばあれ常のごとくに布団にもぐる〉は若き北さんの一首。天上で、大いなる父君と再会を果たしているころか。 他曾在杂志中如此说道“我的作品远不及茂吉的一首和歌”。2年前,笔者见到他时也曾问过他同样的问题,而他也点头承认了。“收到来信拆开看,直述不及父亲慧,事已至此无办法,一如既往钻被窝”这是北老师年轻时的一首作品。不知在天上,北老师是否已经与他伟大的父亲重逢了。 以上就是日语学习资料:天声人语之杜夫大师一路走好的相关介绍,如果能将《天声人语》不费力地读懂,读其他的文章也应当没有太大的困难哦!希望通过对《天声人语》的文章解读,一方面可以提高日语学习者的日语读解能力,同时也可以达到多方面了解日本的目的。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/3eea6c5633d4b14e852468e2.html