第13课 [一人ぼっちでプライバシー]

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第13課 [一人ぼっちでプライバシー]



プライバシーという語に適切な日本語が見当たらないのは、昔の日本にはプライバシーという概念がなかったからだという指摘がある。相互補助を基盤に成り立つ村社会の日常生活には、プライバシーを守るどころか、どこの誰が、いつどうしたといった情報を共有することは必要不可欠なことであった。家の形から考えてみても、しょうじやふすま一枚で区切っただけの部屋とも呼べないような空間で、個人が情報を守って生活することなどとても不可能だった。さらに、雇用にしても、長い間、終身雇用制度を維持するために、採用に当たって個人の素性が重要視され、出身、家族構成、宗教、学歴に始まり、本人はおろか身内の病歴に至るまで、ありとあらゆる情報が求められた。こうした歴史の環境の下では、プライバシーがなかったというよりも、日本にはそもそもプライバシーの育つ土壌がなかったというのが実情だったのである。

しかしながら、戦後、工業国として発展を遂げるにつれて、プライバシーという概念が注目を浴びるようになった。プライバシーを確立するために、個人の空間が大切にされ、プライバシーを侵害しないため、就職時の身辺調査をなくすなど数々の改善も図られてきた。たとえそれが公の場であれ家庭であれ、個人の生活に干渉しないという意職が当たり前のこととして世間一般に浸透し、日本にもプライバシーが根づき始めたと言われる。だが、実態はどうだったのだろうか。高度経済成長時代、ある出版社がビジネスマンのプライバシーに関する調査を行い、特集記事を組んだことがある。その集計結果を分析し、さらに取材を進めると、そこには予想もしなかったような、もはや哀れとしか言いようのないようなサラリーマンの姿が浮かび上がった。回答多数が「唯一、通勤電車の中で物を読んでいる時間だけが、自分一人の時間」であり、「会社では散々仕事に追いかけ回され、家では父親、夫としての立場、役割を意識せざるを得ず、そう簡単に一人になれない」というのである。身動きすらできないラッシュと時の混雑の中で顔と顔を突き合わせ、雑誌や文庫本に没頭し、周りの世界から自らを切り離す。そうして、辛うじて一人の時間を守っている。これが精々当時のサラリーマンに許された「プライバシー」の実態だったのである。

ところで、その通勤電車の風景が、最近少し変わってきている。席に着くが早いか、傍らに置いたバッグから大きな鏡を取り出し、人目をはばかるふうもなくけ化粧に精を出す若い女性がいる。ファンデーションから始まり、アイライン、ほお紅そして口紅、周りにまゆをひそめる人がいても、そんなこと一向

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に気にせず入念に仕上げていく。その横では、スーツ姿の男性が両足を投げ出して漫画を読みふけっている。「大の大人が漫画とは。それも、よりによって人前で...」そんな批判など、聞かれなくなってもう久しい。透明の壁に囲まれた自分だけの空間で、一心不乱に読んでいる。そうかと思えば、黙々と、あるいは、少しニンマリしながら携帯電話の画面とお見合いを読ける若者もいる。プライバシーの確立を目指した社会が生み出した、好きなときに好きなことを好きなようにやるといった風潮の典型が、この電車の中の光景である。

プライバシーの語源は「公的な生活から自分の領域を切り離し、自分の自由にできる領域を作り出す」ことだと言う。そうであるとすれば、プライバシーを守るということは、「自分の領域を守る」ということにほかならない。自分の領域で化粧をしようが、漫画を読もうが、携帯でやり取りをしようが、他人にとやかく言われることはない。確かに、その通りである。しかし、忘れてはならないこと、それは、公的生活あっての私的生活という点である。公的生活を尊重しようという姿勢を見せて初めて、自らのプライバシーも尊重され、保護できるのである。他人の生活は自分の日常とは関係ないという現在の風潮は、公的生活を尊重するどころか、他者から自らを切り離して生きる。無関心な姿以外の何物でもない。今の日本人は、公的空間と私の空間の区別ができなくなってしまっており、その結果、公的生活と私的生活という意識もすっかり薄れてしまっていると言っても過言ではない。こんな無関心の支配する今の風潮が続けば、一人ひとりが孤立し、ついには、他人とのコミュニケーションができなくなり、社会生活に必要とされる人間関係すら築けなくなってしまうということになる。こうした視点から見直せば、今の「引きこもり」問題などは、決して社会からはみ出した一部の人たちの問題ではなく、人間関係が築けなくなった社会状況が既に根づきつつあり、それが一つの社会現象として表れていると言えなくもないのである。

プライバシーが育たなかった日本社会で、時間的にも物理的にも、今、簡単に自分自身の空間を手に入れることができるようになった。プライバシーの確立、擁護がうたわれ続けた結果、それに関する意識もかつてないほど高まってきている。しかしながら、プライバシーの確立が目指したものが、公共生活から自らを切り離し、他人と関わることなく必死でプライバシーを守ろうとする「一人ぼっちの無関心」であっていいはずがない。

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本文来源:https://www.wddqw.com/doc/00bb8408763231126edb1170.html