第11課 [カメラを持った語り部] 湖畔の岩に、ひざを抱えて腰を下ろしている男が一人。残り雪の反射に目を痛めないようにであろうか、サングラスをかけている。音という音すべてを吸い込んでしまったような湖面は、辺りの景色を映し静り返っている。薄雲を通して湖面に映る太陽にじっと視線を向ける男は、周りの情景に解け込んでしまったかのごとく微動だにしない。大自然に飲み込まれた人間の存在の、いかにちっぽけなことか。大自然と一体化した男の姿の、いかにいとおしきことか。 ビリーの写真が語りかけるものは、静寂と寛容。エイズに感染、発病し、死を運命づけられた人たち六十人を写したビリーの写真集を見て、まず私が圧倒されたのは、一枚一枚に写し出された音のない世界。決して、死を待つ人間の静けさではない。ちょっとうつむき加減の目、真正面を見つめた目が、そうでないことを鮮明に物語っている。どの目も与えられた運命の過酷さ、不平等さをのろうことなく、自らの、そして他者の、ありのままを受け入れる、静かで優しい目である。 六十枚のモノクロ写真の中に、目のない写真が一枚ある。写真集の一番初めに出てくるベビーAの写真である。ベッドに横たわるAちゃんが、苦しげに半開きにした口。そこから上が、写真にない。プライバシーの尊重を何よりも重視したビリーは、どんなに時間がかかろうが、撮影を許可してくれた人たちに出来上がった作品を送り、公表してもよいかどうかを再確認した上で、写真集にした。「自分で決断する能力のないベビーAの顔を、だから、無断で公表することは、私の良心が許さなかった」と、後にビリーは、目のない写真のいきさつを語ってくれた。生まれてから病院の外へ一歩も出ることなく、ベッドに寝たきり、美しく舞う雪の冷たさも、春の日差しの暖かさも知らぬままこの世を去ったAちゃん。「一生」と呼ぶにしてはあまりにも短過ぎた一生。Aちゃんの目は、果たして、生を授けた両親をのろった目だったのだろうか。それとも、ほかの五十九人と同じ目だったのだろうか。「この写真が、どれよりも辛い写真だった」と、物静かに語る写真家は、写真集の一番最初にこの作品を載せた理由にも、Aちゃんがどんな目をしていたかということにも、とうとう触れなかった。 写真集の日本での出版に当たり、ビリーが講演会のために来日した。通訳を依頼され彼に初めて会った私は、その目を見るなり「あっ」と思った。ビリーは、自らが写真に撮った人たちと同じ目をしている。その目に出会って、写真 1 集に記された「この仕事を通して人生が変わった」というビリーの言葉が即座に理解できたように思った。 死を宣告された人たちが、打ちのめされ、絶望し、それでも、否、それだからこそ残された時を精一杯大切に生きようと前向きに立ち上がった。命の営みが尽きる日を宣告された人たちから、レンズ越しにこの写真家が見いだしたものは、人の手ではどうすることもできぬ運命を持った一つ一つの命が、いかにちっぽけなものであるかということであった。また、それでもなお、与えられた道を自分なりに精一杯歩み続ける人の姿が、いかにいとおしきものであるかということでもあった。カメラを持った語り部は、知らず知らずのうちにその人たちと同じ目になっていた。 容易に周りの人たちを寄せつけようとせず、心の内を語ろうとしない彼らが、ビリーを自らの世界に招じ入れ、心を開き、命の記録を撮らせた。彼らが受けている言われなき偏見と差別、そして人権侵害。「憎むべきはエイズであり、エイズと共に生きる人たちではありません」と語る写真家の静かな憤りが、通訳として傍らに立つ私にもひしひしと感じられた。それはビリーの言葉であると同時に、何百万と言われる世界中のエイズという十字架を背負った人たちからの静かなメッセージでもあった。過酷な運命によって、排他的な社会によって、一度切り捨てられたが故に、生きることの意義を真正面から見据えるよりほかなかった人々。それでも、すべてを受け入れ、許し、前向きに精一杯生きる彼らの勇気とすう高さ。それが伝えられるのはビリーをおいてほかにはない、強くそう思いながら、私は通訳を続けた。 ビリー.ハワード。人間を見つめ続け、生を考え続けてきた一人の写真家が、会場に集まった人々の魂に語りかけた。HIV感染、エイズの問題は、いつしか聴衆一人ひとりの命へ問いかけとなり、生まれ、生き、そして、死ぬという人間の根源の問題として受け止められた。ビリーの写真が語りかけるものが、そして、今は亡き静寂の世界の主人公たちからのメッセージが、語り部の口を通して会場の人々の心に刻み込まれた。 2 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/2dd78129bd64783e09122b70.html