天声人語 夏ごろの小欄でメジロについて書いたら、ご自分で撮った写真などたくさんの便りをいただいた。萌黄(もえぎ)色に装うこの鳥、ファンはかなり多いようだ。歌人の故竹山広さんもその一人だったか、頬のゆるむ一首がある▼〈木犀(もくせい)の枝に目白の来はじめて雀(すずめ)は来ても来なくてもよし〉。メジロに比べてスズメが不遇だが、何せありふれた鳥である。「雀の涙」や「着たきり雀」「雀の千声(せんこえ)鶴の一声」などと軽く見られるのも、いわば大衆性ゆえだろう。しかし、そうも言っていられなくなった▼ずいぶん数が減ったと、昨今指摘されてきた。立教大と岩手医科大のグループが推計して、先ごろ「約20年で6割減少」という数字をまとめた。山階鳥類研究所の標識調査をもとにしていて、スズメの受難が裏付けられた格好だ▼別の異変も気にかかる。スズメは人里にすみながら、警戒心が強く気を許さない。なのに人慣れして、手から餌を食べたり、ねだったりする群れが全国で見つかっている。調べた学者は首をひねる。何かがこの鳥に起きているらしい▼スズメと同じく童謡に歌われ、同じく「学校」で学ぶメダカを思う。どこの水辺にもいたのに、開発や農薬で絶滅危惧の赤ランプがともる。みんなでお遊戯しているよ――の眺めは、悲しいかな遠くなった▼この季節、寒気を防ぐために羽毛を膨らませる姿を「ふくら雀」と呼ぶ。斑(ふ)入りのオーバーを着て丸くなる、小さきものの愛らしさ。どこにでもいる気安さを、失わせたくはない。 春秋 この一週間、喉に骨が引っかかったような感覚が抜けない。一川保夫防衛相の進退が取り沙汰されているが、その発端にもなった前沖縄防衛局長の不適切発言に関してである。あの暴言を明るみに出したメディアは正しかったのか――。▼中身はもうよかろう。沖縄県知事は「口が汚れるからコメントしない」と吐き捨てた。こちらも紙面を汚したくはない。気になるのは一点、暴言がオフレコの場で出たということだ。オフレコとは、発言を記事にしないとの約束を前局長と記者たちが前もってかわしたという意味だ。そして約束は守られなかった。▼「権力をチェックする立場でそんな約束をする方が悪い」と叱られるだろう。その通りだ。聞いたら書くのが記者だ。前局長の発言をはじめに報じた琉球新報は、発言を沖縄県民に伝えることを優先した。「報道には公共性、公益性がある」。そんな考え方もよく分かる。それでも腑(ふ)に落ちないものが引っかかる。▼過ちかもしれないが、約束はしてしまった。ならば、相手が市民であれ官僚、政治家であれ、守る。そういう原則を貫くことも大切ではないか。喉の骨はそう訴えてうずき続けている。前局長は記事にしないという約束があって記者に話した。この事実はどこまでもついて回ると思うが、どうだろうか。 编辑手帐 随筆家の串田孫一さんが愛用の小刀を紛失した。それが気になって仕事が手につかなくなった話を随筆に書いたところ、ある出版社が中学の国語の教科書に載せたいという◆ただし、刃物は具合が悪いので、文中の小刀を時計に書き換えてほしい――との注文である。串田さんは掲載を断った。子供から小刀を遠ざけることのばからしさを随筆集『文房具56話』(ちくま文庫)に書いている。〈小刀を使ったことのない人間を想像するのは恐ろしい〉と◆その記事を読み、串田さんは泉下でにっこりなさっているかあいそめも知れない◆きのうの本紙連載『学び〈再出発〉』に長野県池田町、町立会染小学校の話があっひごのかみた。道具を使う緊張感を養い、集中力を高めるために、毎年、「肥後守」の通称で知られるナイフを新入生に贈っているという。「前に指を切ったこともあるけど、だいぶ慣れてきた」と、行間に笑顔の浮かんでくるような1年生の男の子の談話が載っている◆自分が負った小さな傷の痛みを知るなかから、ひとを傷つけない使い方を学んでいくのだろう。小刀という道具は、どこかしら「言葉」に似ている。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/3c80945b312b3169a451a45e.html