もうすぐ到着しますから、車が止まり次第降りになってください。ご自分の貴重品などを持ち下さるようにお願いします。私についてきてください。 皆様が沖縄いらっしゃいますと、最初に見えてまいりますのが、那覇市の首里城(しゅりじょう)でございます。 首里城は沖縄諸島(しょとう)の沖縄島内(とうない)南部、那覇市の東にある造りの城(ぐすく)、14世紀から19世紀まで琉球王国の首都(しゅと)の所在地や王城です。(ここの琉球王国は沖縄古代の呼称「こしょう」なのです。)(グスクは琉球時代でいうところの「城」である。) 首里城は13世紀末14世紀初めに作られ、琉球王国の政治と権力の中心、約450年にわたり琉球王朝の繁栄を見守ってきました。 正面に見えてまいりますた大門は守礼門(しゅれいもん)です。守礼門は沖縄の象徴(しょうちょう)の同時に首里城の有名な観光地です。第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使(さくほうし)が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)をとっていたです。沖縄戦で焼失(しょうしつ)したが、1958年に再建され、1972年には沖縄県指定有形文化財となったです。なお扁額(へんがく)となった「守禮之邦」という言葉は、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」というくだりから来ています。そして、D弐千円券の図柄(ずがら)は沖縄の象徴的建物「守礼門」を採用され作られます。 続きまして、正面をごらんになりますと、大きの建物が見て取れると思いますが、あれはが正殿(せいでん)でございます。正殿の前には、家臣(かしん)らが謁見(えっけん)したり中国からの冊封使を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられています。これらの構造には、中国の紫禁城(しきんじょう)との類似性(るいじせい)も指摘されています。 王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれたです。中には一階と二階の両方に御差床(うさすか)という玉座が設けられ、二階の御差床の上には清国皇帝から贈られた扁額が飾られていたです。正殿の一階は国王が政務をおこなう場所で「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれており、正殿の二階は王妃や女官らの使用する「大庫理(うふぐい)」と呼ばれる場所であったです。二階の御差床は重要な儀式のために使うものであり、二階南東隅の「おせんみこちゃ」という部屋は国王や女官らが祭祀を行う場所であったです。 これを見ると、まるで中国の故宮見ていたんですよね。他の日本の城(ぐすく)とは異なり、首里城は中国の城の影響を大きく受けています。門や各種の建築物は漆(うるし)で朱塗り(しゅぬり)されており、屋根瓦(やねからわ)には初期(しょき)は高麗瓦(こうらいからわ)、後に琉球瓦が使われ、各部の装飾(そうしょく)には国王の象徴である龍が多用されたです。 皆様、首里城の見学が終わりました、では、これから自由活動になりますので、1時間後バスに戻って来てください。皆様をお待 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/87076724284ac850ac024240.html