本音ですがー 調査研究本部主任研究員 秦野るり子 外国人は、本音と建前を使い分けることを、日本固有の文化と断定し「建前」を自国語に翻訳不可能な言葉だとして、そのまま「tatemae」ということが多い。 数年前に米カリフォルニア大学バークレー校で教えていた時、日本通を自認するアメリカ人の同僚に、「日本人は本音ではないことを言うのを潔くないと考えるから、わざわざ建前という言葉を生み出したのではないか。アメリカ人だって、心にもないことを言うが、それをとくに恥ずかしいとは思わないから特別な言葉はないのでは」と自説を言ったら、議論になった。このアメリカ人は、「われわれの行為は、hypocritical(みせかけの、偽善的な)というものであって、tatemaeとは違う」と反論した。 最近、私は髪型を大幅に変えた。すると、社内の男性たちは、「なんか大胆に変えたじゃない」とか言ったまま、にやにや笑うという反応ばかりを返してきた。自慢じゃないが、肯定的な評価はひとつも頂いていない。 少なくとも私がこれまで特派員として生活したアメリカ、インドネシア、イタリアではありえない反応だ。コメントするなら、見栄えが悪かろうとも「似合うね」の一言を付け加えてくれるだろう。 「女と見ればくどく」という、とんでもないレッテルを貼られたイタリア男性(実際はそんなことはありえないけれど)はもちろん、移民国家という成り立ちから、言葉で他人への配慮を示さねばならないアメリカ、そしてアジア人でも東南アジアの男性はやさしさを口にするのをためらわない。 「建前」というほど大仰なものではなく、「hypocritical」かもしれないが、日本人より外国人の方が不用意に本音を示さない術を身に着けている。 ちなみに、私が髪型を変えたのは、乳がん手術後の抗がん剤治療で髪が抜けウィッグを被らざるを得ないという事情がある。病気に負けず、気分だけでも元気でいたいとわざと派手なウィッグにしたので、冷たい反応には柄にもなく傷ついた。そして、いつの間にか「これはウィッグでーー」と話し、自分ががん患者であることを知らせて回ることになってしまった。 私に対し「本音」の反応をした人々が、せめて妻やガールフレンドなど大切な女性には、潔く褒めることを祈るのみである。できれば、それ以外の人にも。髪型の変化ひとつでも様々な事情があるのだから。 (2010年9月1日 読売新聞) 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/12c95138376baf1ffc4fad03.html