在日语中,有的日语词性既为句词也为形容动词,但在修饰名词时,有的习惯加の 为什么呢? 先用中国话说说:所谓的形容动词,就是说本来是名词等其他词性的词把它当作形容词来用。 形容动词和名词之间的词性关系分得不是很清,比较模糊暧昧。之所以这样说是因为与其说形容动词是一种独立的词性,倒不如说成是名词的一种也是不为过的。例如:「无辜」「波乱」等、「无辜の市民」「波乱の人生」这样的(将形容动词和名词作为两种不同词性来考虑的立场上来说)当作名词来用是很常见的、也有人「无辜な市民」「波乱な人生」这样说(同样是站在不同词性的立场上来说)作为形容动词来使用,两种不同的用法是共存的通用的。现在有些形容动词本来就是由名词变化来的。所以、形容动词在作为一种独立词性、在连体修饰时可以伴随「な」也可以伴随「の」,这两种方式共存通用。 ------------------------------------------------------------------ 形容动词とは、元来名词などほかの品词を、形容词に転用したもの。 形容动词は名词との境界の暧昧な品词である。その暧昧さ故に広辞苑などでは形容动词を独立した品词と认めずに名词の一种に过ぎないとしているほどである。例えば、「无辜」「波乱」などは、「无辜の市民」「波乱の人生」のように(形容动词と名词を异なる品词と考える立场でいう)名词として使うのが普通であるものの、人によっては「无辜な市民」「波乱な人生」のように(同じく异なる品词と考える立场でいう)形容动词として使う人もいて、揺れがある。今日ある形容动词も元々はすべて名词から形容动词に変化したものだから、境界线上にある语があるのは当然のことである。なお、形容动词を独立した品词と认めない立场からいえば、先の例はいずれも名词で、连体修饰时に「な」を伴うか「の」を伴うかに揺れがある、ということになる。 关于外语语法的不规则的一点小建议 语法的确是反映语言规律的,它本身是一门科学,是好东西。我们学不好外语,不能怪语法,关键是怎么学语法才能促进外语学习。语法知识弹性比较大,不像数学,一是一,二是二,推理非常精确,而反映一种语言规律的语法规则很多,极少没有例外。如果学语言也像学数学那样,有精确的规律而言,就不至于那么难学了。千万不要以为学语法就是在学外语,而忘记了学语法的目的是为了帮助学好外语,是为了帮助学会使用外语。语法本身不是外语使用,充其量只是一根拐杖,能独立走路了是可以扔掉的。学语法进而研究语法,那是少数语言学家去做的工作,不需要我们人人都去深入学习语法,去当语言学家。学好语言的关键是多接触,在与人的互动中多体验语言的使用,多记住一些语言的固定搭配。这才是告别哑巴外语的关键所在。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/4061606f25c52cc58bd6be26.html