「草食系男子へのまなざし」 一、要約 2006年、ライターの深澤真紀は、女の子と二人きりで一夜を過ごしても全く性的な行動に出てこない若い男性が目立つようになった事を指摘し、彼らの事を草食男子と呼んだ。それに対して、作者は2008年に『草食系男子の恋愛学』を出版し、それをきっかけとして、草食系男子ブームが起きた。意外なほど女性の読者が多くて、そして女性読者たちの反応はおしなべて良好なものだったのである。なぜかというと、彼女たちは、ゆっくりと時間をかけて心を通わせ、愛情を育んで(はぐくんで)いくことのできる男性たちの出現を心待ちにしていたのである。しかしながら、その本の読者という枠を超えて、世間一般にまで視野を広げて考えれば、草食系男子に対する一般女性たちの視線はそれほど温かいものばかりではない。自分は受け身のまま、男性に気持ちよくリードされて幸せになりたいと言う「愛され願望」を抱いている女性たちにすれば、草食系男子というのは男らしい魅力に欠けた、頼りのない男性にしか見えない。草食系男子の対等感覚によって新時代の恋愛のスタイルを創りあげたいと作者はそう思っているようである。 二、選んだ理由 別に特に理由がありませんが、ただ「草食系男子」という言葉に引かれて、またジェンダーについて色々なことを考えたので、この記事を選びました。 三、意見 「草食系男子」という言葉を初めて耳にしたのは三四年前のことでした。その時は、「草食系男子」の意味もよく分かりませんでした。当時聞いたのは、中国語に訳されたもので、漢字のままに理解しようとしていました。思えば、日本語の「草食系男子」の意味を調べたのも、今回は初めてなのです。では、草食系男子というのは、一体どんな男性なのでしょうか? 草食系男子の定義は論者によって異なっています。深澤は、「草食男子」を、『恋愛に「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」』と定義しました。作者の森岡は「草食系男子」を、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う草食系の男性のこと」と定義しました。牛窪(うしくぼ)の定義は深澤の『平成男子図鑑』の論旨とほぼ同様。森岡は、その後、「草食系男子とは、心が優しく、男らしさに縛られておらず、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子のこと」と再定義しました。 どっちの定義にしても、「男らしさが足りない」という点から逃げられません。「男は迫る方であるはずだ!じゃないと男らしくない!」という考え方が古くから今まで続いてきました。そこで、積極的に女性を追わないだけでなく、2人きりで一晩過ごしても何の性的な動きもないというのは、いかにも「男らしくない」と思われています。そういう「男らしさ」が足りない男性のことが段々人々に注目されつつあるのです。そして、そういう男性たちのことをいう時に、ある特別の言葉が必要とされています。そこで、「草食系男子」という言葉が生み出されました。 では、ここのキーワードとなった男らしさは一体どんなことを指しているのでしょうか?「いさぎよさ・我慢強さ・無口・感情を抑えること。特に悲しみや喜びの感情は抑えるのがよしとされた。汗をかいて体を動かすこと ・有言実行・落ち着いていること・女性に対して優しいこと・ぐずぐずしないこと・金をかせぐこと・勤勉なこと、仕事がよくできること」という意見があるようです。 そこで、私は考えています。なぜ以上のようなことができなかったら、男らしくないと断言されますか。逆にいうと、男らしいと評価されたかったら以上のことをしなければならないでしょうか。私はそうは思っていません。一人の評価は、その人の個性を重視すべきだ思います。感情をよく抑えても、グズグズしなくても、金がたくさん稼げても、その人が男らしいと評価できる基準にはなれないです。ただ、その人(男性の場合)は男として、そういうことができたら、できない人よりもっとモテるだけのことです。 また、草食系男子と呼ばれる男性のもう一つの理由は、男女2人きりで一晩過ごしても、積極的に性的な動きができないからです。そういう考え方は、たぶん、「男ならばセックスでは攻める方でないと駄目だ」ということからきたものです。しかし、そもそもなぜ性的な関係の中で、男性が積極的な役割を果たさなければならないのでしょうか。それに対して、もしある女性が積極的に動いたら、十中八九「いやらしい」とか「恥しれず」とか罵られます。セックスというのは、我々人間にとっては繁殖の行為だけではなく、己の欲望を満たして気持ちよくさせる行為でもあります。17世紀後半から18世紀にかけてヨーロッパ社会の啓蒙時代に、数多くの啓蒙思想家は「人間は己の欲望と向き合うべきだ」と主張していました。中には、「真っ直ぐに性欲と向き合い、女性であろうと、男性であろうと、好む性的な行為を追求する権利がある」という考え方もかなり受け入れられました。従って、男性が性的に積極的ではなくても、彼たちの自由です。他の人に言われる筋合いはないです。 確かに「愛されたい」という願望を抱いている女性に対して、そういう男性はそれなりに魅力的ではありませんが、いずれ彼たちも本当に自分のことを愛する相手と出会えると私は心の底から信じています。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/6abc441dfd0a79563d1e7223.html