故宫の至宝26

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雕紫檀嵌彩磁博古図小櫃 高さ46センチ、多宝格と呼ばれるこの箱は最後の王朝清の第六代皇帝乾隆帝の時代に作られました。多宝格とは宮廷秘蔵の宝物を収める箱のことで、言わば皇帝の玉手箱です。宝物の形や大きさに合わせ、箱には木目細かな細工が施されています。この多宝格には歴代の王朝に受け継がれてきた文物のほかに、皇帝のために宮廷後部の業を駆使して新しく作り出された宝物も収められています。 では、清の皇帝たちはどんな目的で多宝格を作らせたのでしょうか。 清の皇帝が日々政務を執り行った紫禁城

清の皇帝は王朝の正当な後継者であることを誇りにしてきました。皇帝は王朝の正統性の証のして、歴代の王朝が生み出してきた文物の収集に努めました。 紫禁城の一角にある皇帝の住まい 養心殿

ここは皇帝が寛いだ居間です。玉座の傍らには文物を置くための棚があります。この棚には皇帝が収集した古今の逸品が置かれていました。世界の国々から紫禁城を訪れた使者たちは皇帝に珍しい品々を献上しました。寝室の置かれたこの時計はヨーロッパの国の使節の贈り物と考えられています。皇帝はさまざまな文物を身近に置き、それを観賞することで自らの絶大な力を実感したのです。 弘暦是一是二図

自室で文物を観賞する乾隆帝を描いた絵です。しかし皇帝と言えども、文物を見たいときにいつでも自由に見ることはできませんでした。文物は紫禁城の六つの倉庫に保管され、専門の役人に負って厳重に管理されていました。あの文物が見たいと思い立っても、時には何時間も待たなければ手元にはと届きません。好きな文物をいつも手元に置き、好きな時に見られないものか。こうした求めに応じて作られたのが多宝格なのです。

乾隆帝は王朝の正統を示すものとして、古代の青銅器の収集には取り分け力を入れました。収集した青銅器の数は四千件。乾隆帝はその中からお気に入りの小さな青銅器を十件選び出しました。

その一つ、古代王朝周の青銅器周絃紋觶。高さ10センチ。祖先を祭り儀礼の際に酒を飲むために作られた器(うつわ)です。

周素盤 2センチ。祖先への奉げ物を入れるための器です。

周雷紋彝 高さ6センチの青銅器。これも神に奉げる酒を入れるための器です。

乾隆帝は青銅器ごとにそれを讃える冊子を添えました。「周雷紋彝、飾りは簡潔にして素晴らしく、色や光沢に、古(いにしえ)の趣(おもむき)がある。」乾隆帝はこの小さな青銅器がぴったりと収まる箱を作らせました。箱は文人たちが旅行のために作った道具箱、あるいは文具箱を基に作られました。この多宝格を作ることで、乾隆帝は秘蔵の青銅器を手元に置いて、いつでも取り出して眺めることができるようになったのです。 この小さな青銅器のために作られた多宝格が吉笵流輝です。

竹糸纏枝番蓮多宝格円盒 高さ42センチの多宝格です。木の筒に細い竹を貼り、更に蓮(はす)の彫刻を施した板を貼り付け、細工を凝らした作りです。この多宝格は皇帝秘蔵の玉器を手元に置いて観賞するために作られました。玉は古代から天と地を結ぶものとさ


れ、歴代の王朝が玉の収集に情熱を傾けてきました。

この多宝格には23個の玉器が収められています。中には古代王朝殷のものとされる玉器もあります。皇帝はこうした古(いにしえ)の玉器のために多宝格を作らせました。多宝格の中の棚は紫檀細工で作られています。この棚には古の玉器のほかに、新たに作られた玉器も収められています。

新たに玉器を作るために用いられた玉は北京から遥か三千キロ離れは玉の産地黄田のものです。毎年4000トンの玉が紫禁城に送られ、彫刻を施されて、皇帝に献上されました。その数多くの玉器の中から、皇帝のめがねに適ったものだけが選ばれ、この多宝格の収められました。僅か5センチの回転する棚に収められた玉の彫刻。

紫禁城には、皇帝のために様々な文物を作る巨大な工房が置かれ、全国各地から名工たちが集められました。皇帝専用の工房は造弁処と呼ばれました。造弁処には玉、陶磁器、画などの28を数える工房が置かれ、名人、名工と呼ばれた職人たちがここで技を競い合いました。

穿珠梅花盆景 造弁処で作られた梅の木を模(かたど)った色鮮やかな置物です。梅の木は赤い珊瑚で作られています。枝を飾る花にはエメラルド、真珠、ルビー、サファイアなどの宝石が数多く鏤(ちりば)められています。この置物は皇帝が執り行う儀式の際の飾り物として作られました。色鮮やかな台座 ここにもエメラルドやルビーなどの宝石が嵌め組まれています。皇帝の目を楽しませるために、贅を尽くして作られた置物です。 紫檀嵌琺瑯霊芝挿屏 60センチ、高さ73センチの霊芝の置物です。霊芝とは、山の奥深く枯れ木の根元に生える茸のことで、不老不死をもたらす薬として、古くから珍重されてきました。この大きさまでに生長するには千年はかかると言う世にも珍しいものです。造弁処の工房は献上されたこの巨大な霊芝を見事な置物に作り上げました。霊芝の周りには色鮮やかな蝙蝠(こうもり)が描かれています。蝙蝠と福とは発音が同じことから、この絵は幸福を意味しています。この置物は乾隆帝の不老長寿を祈って献上されました。 白玉苦瓜 白い玉で作られが長さ12センチの苦瓜です。古代、玉器は天を祭り、死者を 弔(とむら)うためのものでした。しかし、造弁所の工房の職人たちは、ひたすら皇帝を喜ばせるために、形を工夫し、技を競いました。こうした技の競い合いが本物とみまごうばかりの苦瓜を作り出されます。

翠玉白菜 翠玉で作られた高さ19センチの白菜です。白菜の白は純潔を意味します。この文物は清の第11代皇帝光緒帝の妃(きさき)の嫁入りの品として作られたとされています。薄い緑の小さなキリギリス、そして濃い緑の大きなキリギリス。白菜の上には二匹のキリギリスが彫られています。キリギリスには子孫繁栄の願いが込められています。菜を表現するために、翡翠の白の部分と緑の部分が見事に生かされています。翡翠は18世紀になって中国に大量に輸入されるようになりました。色や光沢は変化に富む翡翠は清の時代大変好まれました。この新しい素材翡翠を用いて様々な玉器が作られました。この白菜を模った玉器はその中の傑作の一つです。職人たちは皇帝に認められようとして、様々な文物を作り出しました。皇帝から直接お褒めの言葉を賜れば、一族の繁栄が約束されたのです。

猪肉形石 高さ6センチの醤油で煮た豚肉そっくりの石です。皇帝を喜ばせようとした職人たちの競い合いはこんな作品まで生み出しました。素材の石の相はまさに豚肉そっくり


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