日本文学史 ――上代から近世まで 日本の文学は千年ぐらいの歴史があって、世界文学も深く影響を与える。例えば、『源氏物語』は日本文学の最高峰であるばかりでなく、今や世界文学史上での第一級の作品という評価を勝ち得ている。 日本の文学は政治の発展につれて変わってくる。明治維新前、中国文化に影響された。 明治維新後、日本文学は欧米文化を吸い込んだ。明治維新の前、文学史は上代、中古、中世、近世三つの部分になっている。それから、一つずつ紹介したい。 一、上代の文学: 日本では四世紀頃の漢字の伝来までは、漢字がなかった時代で、文学といえば口承しなかった。五、六世紀ごろ、日本に漢字がもたらされると、伝承されていた<語りごと>徐徐に漢字を用いて記載されるようになる。また、外国との交流が盛んになるにつれて統一国家が形成されると、口承文学は集大成して記載された。それが、『古事記』『日本書紀』『風土記』などである。これらに掲載されている話の内容は、神話、伝説、説話の三つに分類することができる。 『古事記』は現存する日本最古の書者である。そこに記されている神話や伝説などからは、古代人のものの見方や考え方、豊かな感情が感じられ、十分な文学性を持ち合わせているといえる。『古事記』の表記には、純粋の漢文体で書かれた序文のほか、漢字の音訓を交えた変則の漢文体で書かれたものもある。 上代では、言葉には霊力があると信じられており、よい言葉は<幸>をもたらし、悪い言葉が<禍>とされていた。祭りの場面ではこの言霊が重視された。祝詞と宣命が出てきた。ここに文学や演劇の起源があると考えられている。 上代歌謡は、人々が共同体の祭りの場で歌った歌を起源とする。当時の人々の祭りや生活の中で伝承され歌われたと思われる歌謡が、記紀の神話や伝説で結び付けて引用されれいるものが多い。歌謡の内容は狩猟、祭り、恋愛、酒宴などであり、人々の生活に全般にわたり、生き生きとした思いが読み取れる。 『万葉集』にも、本来は歌謡であったと推測される歌が多くある。今現存する日本最古の歌集である。巻数二十巻で、約四千五百首の歌を収めている。作者層は、天皇から一般の人々いたるまで幅が広く、地域は大和を中心都市ながらも、東国、九州などと、広がりある。漢字を表音文字として用いた万葉がなは、表記の特徴となっている。 上代の文学には、自然の恵みを祈る人々の気持ちや喜び、悲しみの気持ちを、率直に表現するという特徴がある。 二、中古の文学: 中古時代の初期、遣唐使による大陸との往来が盛んになるにつれて、唐風の文化が尊重されるようになった。貴族の間では漢詩文が流行した。九世紀の前半は空前の隆盛期に迎えた。 唐が衰えると、唐風文化に変わって再び国風文化への自覚が高まった。そして、かな文字の発明と普及に伴って、和歌が多く作られるようになり、『古今和歌集』は最初の歌論として後世のさまざまな評論への影響が大きい。 また、散文もかな文字で記されるようになり、物語がかな仮名で書き表された。その初めのものとしては、物語では作り物語である『竹取物語』、歌物語である『伊勢物語』。 一条天皇の時代、清少納言の随筆『枕草子』、紫式部の『源氏物語』などがかかれ、女流文学が隆盛を極めた時代となった。 『源氏物語』はその長さとその完成度の高さにおいて、ほかに類を見ない作品となっていて、空前絶後の一大長編である。そのはか、『蜻蛉日記』『和泉式部日記』などの日記が書かれた。 平安時代後期、過去の歴史的な事実に題材を求めてかなで記された歴史物語が生まれた。この中に『栄花物語』『大鏡』がある。 三、中世の文学: 鎌倉幕府成立から江戸幕府成立までのおよそ四百年間を中世とする。武家が政治の中心となって、人々の現実意識を高めるとともに、伝統的なものへの憧憬、異文化への関心などに基づく新しい価値観を生み出すことになる。 古くから行われていた連歌も一つ形態として独立し、広く流行して俳諧の連歌へと発展していく。中世の代表する文学の一つが軍記物語である。『平家物語』に代表される軍記物語が盛んに書かれ、歴史物語や史論とともに、この期の特色をなしている。『平家物語』は表現、構成、素材など多くの面で後続の軍記物語、近世の 小説、謡曲や歌舞伎などの戯曲に影響を及ぼしている。 随筆も前代に引き続きかかれたが、中でも、清少納言の『枕草子』と並んで古典三大随筆と呼ばれものが、鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』である。この二作は中世の隠者文学を代表するもので、作者の人間性と思想性が作品全体にみなぎり、社会や人間に対する鋭い洞察が見られ、現代にも通じる普遍性がある。 また、芸能の分野では、世阿弥によって能が完成され、芸能としてだけでなく文学としての資 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/99dc2a3b5727a5e9856a6191.html