【28】「ぼくの靴音」-大人

时间:2023-01-09 10:53:12 阅读: 最新文章 文档下载
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大人 大人

大人って、一体、なんやろ? 所谓大人,到底,是什么呢?

成人式を迎えたらって大人なのか。少なくとも、僕は大人になっていない。二十歳になれば大人だなんて、なんだか気休めの薬みたいだなって思う。「酔い止めの薬だよ」って渡された薬を信じて飲めば、それがビタミン剤だったとしても、良く効く事があるでしょ。それと同じで、二十歳です、成人式です=さあ、もう大人の仲間入りですと、自分も周囲もその気になったりするんだろうなあ。でも、本当に大人なのかどうかは、また別の話だ。

迎接了成人式的话就是大人了吗。至少,我还没有成为大人。说什么二十岁以后就是大人了,我总认为那像是安心药一样的。【这是醒酒药哟】便相信着将药接过来喝下的话,那个即使是维他命,也会有很好的效果吧。。和那个一样的,二十岁了,成人式了=好了,已经进入大人的行列了的,自己也好周围也好就会变得有那样的感觉了啊。但是,真的算是大人了吗,又是另一回事了。

単に、長く生きてるから大人だ、人生の先輩だ、なんて事もないと思う。たくさんの時間を呼吸したからって、その事自体は偉い訳じゃない。その人が幸せかどうかは本人が決める事だけど、大人かどうかについては、誰も決められないんじゃないかな。何時までが子供で、何時から大人なんて境界線、誰も知らないでしょ。少なくとも、僕は知らない。

单单,因为活得久就是大人,就是人生的前辈,我认为没有这回事。因为呼吸过了那么长的时间,这件事本身并不伟大。虽然关于是否幸福是由本人决定的事情,但是关于是否是大人,不是无法由任何人决定的嘛。什么时候之前是孩子,什么时候开始是大人这样的界线,谁也不知道吧。至少,我不知道。

小さい頃、早く大きくなりたい、早く大人になりたいと願うような子供ではなかった。なりたくないって事でもなく、特別そんな事は考えなかったというか。それが、仕事を始める事になって、社会に出たら、何歳だろうが無理矢理いきなり大人でしょ。「ちゃんと自覚しなさい!」と急かされる。だけど、そうか、自分はもう大人なんだと思ってると、「まだ子供なんだから」とかわされる場面もある。俺、どっちゃねん?大人か子供かどっちかに統一してくれ!そんなこんなで、十五、十六歳の頃は、めちゃくちゃ面倒臭かった。

小的时候,并不是想早点长大,想早点成为大人的孩子。也没有不想长大,可以说是并没有特别的考虑那样的事情。这是因为,开始工作这件事,出了社会的话,不管几岁也要被强迫的突然成为大人吧。【要好好的有点自觉吧!】被催促着。可是,想着是吗,自己已经是大人了的时候,也会有【因为还只是孩子】交替的情景。我啊,到底是哪边呢?大人也好孩子也好都给我统一了!这样那样的,十五、十六岁的时候,非常麻烦了。

素直さを忘れる事、素直さを麻痺される事、自分に嘘を並べる事が、もしかしたら大人に繋がって行くのかなあ、なんて考えた事もあった。小さい時に学校や家庭で正しいと教わって事が、一瞬にして砕け散って、気持ちが混乱した事もあった。皆が好き勝手やってる世の中なら、教育なんか必要ないやんって腹立った事もあるよ。皆で助けて合おうとか、優しい気持ちを大切にしようとか、そういう事は通用しないのか、と。正義感を燃やしても簡単に水で消されてしまう事も体験したしな。それで悩んだり、迷ったり、落ち込んだ。

忘记了率直的事,麻痹了坦率的事,自欺欺人的事等,难道是与大人联系在一起的吗,也考虑过这样的


事。小的时候被学校啊家庭里教的正确的事,一瞬间被打散飘零,也有过气味混乱的事。如果在所有人为所欲为的社会中的话,也生气过教育什么的不需要了的事。想着大家相互帮助什么的,珍惜温柔的想法什么的,这样的事情已经不能通行了吗。也体验过即使燃起正义感也简单的被水浇熄这样的事。因此烦恼着,迷惑着,消极起来。

だけど、人生を二十一年経験した今は、ちょっとだけ吹っ切れている。自分なりに、こんな風に歩いて行こうって、なんとなく見えて来たから。

可是,经历了二十一年人生的现在,稍微摆脱了一点。因为总算能看见,成为自己,这样的感觉走下去了。

そう、大人とか子供とかじゃなく、自分の視野をもっと広げて、人間として大きくなれば良いんだよ。生きていれば、誰かを傷付けてしまう事だってある。誰も傷付けずに死んで行く事は不可能。でも、その回数を少なくする努力は出来ると思う。もしも、已むを得ず、誰かを傷付けてしまった時は、自分の胸の痛みをしっかり感じれば良い。自分を責める事も時には必要なんだ。

是的,不是大人也不是孩子,更加扩大自己的视野,作为一个人的成长就好了哟。活着的话,总会有伤害别人的事。谁也不去伤害的死去这样的事是不可能的。但是,我想要努力去减少次数是可以的。如果,不得已的,要伤害到别人的时候,只要好好地感受自己心中的疼痛就好。有时候自责也是很必要的。

何かを守る為にを手にしてしまう事もあるだろうけど、手にした時の嫌な感触は、ちゃんと忘られずにいたい。嫌な自分が現れた時に、嫌だと感じられなくなっては悲しい。是非、嫌だと感じられる人間で在りたいと心から願う。そうしたら、また、堂々と胸を張って歩いて行けば良い。歩いて行ける。 虽然也有为了守护什么而说谎的事情,说谎时候讨厌的感觉,想要好好的记住。出现了讨厌的自己的时候,渐渐感觉不到讨厌的话是很可悲的。一定,要成为感觉到讨厌的人啊从心里祈愿着。那样的话,再一次,堂堂正正的挺胸走下去就好了。能够走下去。

こないだ、LOVE LOVE あいしてる』の収録の後、シノラー(篠原ともえ)の誕生会があった。おっきなケーキを前にして「剛君、私、やりたい事がある」と、シノラー。ケーキの生クリームを顔に付け合いっこしたいって云うんだよ!「もったいないし、そんなんあかん」って云ったんだけど「どーしてもやりたい!!」

不久前,LOVE LOVE あいしてる』的收录之后,举行了シノラー(筱原友惠)的生日会。在巨大的生日蛋糕前【刚君,我啊,有想做的事】,シノラー这样说。竟然说想要把蛋糕上的奶油沾在脸上哟!虽然说了【好浪费啊,这样不好】却回答【无论如何也想这么做!

結局、二人で決行。「ちょっとだけやで」なんてやってたら、僕達の生クリームだらけの顔を見て、吉田建さんが「うぉー、俺にも付けて!」って参加。そのうち「俺にも」「俺にも」って、全員で大はしゃぎ。楽しかったなあ。最後は、皆してペタッとした顔(一応、おしぼりで拭いたけどな)で帰ったという年齢に関係なく、こういう風に遊べるのって良い。

结果,两个人坚决执行。决定了【只沾一点】,可是看见我沾着蛋糕的脸,吉田建先生说着【哦,我也要沾点】参与进来。在场的都【我也要】【我也要】的,全员大闹起来。好开心哪。最后,大家带着粘呼呼的脸(姑且,只用湿毛巾擦了下)回家了。与年龄无关,像这样玩乐真好。

子供=素直、大人=我慢、というイメージがあるけど、どっちかに偏るんじゃなく「今日は大人7供3のバランス行こうか」とか「歯がいたくてたまらないから、息子達の前だけど大人2子供8お父さんになっちゃえ」とか自由に変わって行けたら良い。自分にとって心地良い大人子供のグッドバランス、出来れば、周りの人まで心地良くするバランスを、瞬間瞬間、見付けて行けたらかなり


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