東京の印象 今年30歳になる私は北京で生まれ、人生の五分の四の時間をこの都市で過ごしてきた。私が訪れたことのある外国の都市のうち、東京は私が唯一「自由旅行」の形でゆっくりと味わう機会のあった都市だ。滞在した期間は長くはなかったが、この都市の美しさ、きちんと整備された様子、人に対するやさしさや人々の活力、親切さが深く印象に残っている。 私は東京に計7日間滞在したが、ほとんどの時間を市の中心部で過ごした。到着してすぐの第一印象は清潔、ひいてはあまりに清潔すぎて少し順応できないほどだった。公共の場所では、紙くず一つ見かけず、大通りにはゴミがないばかりかゴミ箱を探すのすら大変で、思わず心の中でこうつぶやいたくらいだ。東京の人はいったいどこにゴミを捨てるんだ?それとも公共の場所に来たら捨てるゴミもないのか? 東京に住む以前の同僚を妻と一緒に訪ね、この元同僚に説明してもらってようやく事情が分かった。ここではどの家庭から出るゴミも時間通りに自治体が指定したゴミ置き場に出さなければならず、その上高いゴミ回収費が必要なのだ。 元同僚は私たちにこう説明してくれた。50年前、東京の人は環境保護をそれほど重視せず、所構わずゴミを捨て、痰を吐き、工場は有毒ガスを自由に排出し、その結果、生活環境の急激な悪化を招いた。当時の日本の空はどんよりと薄暗かった。1950~60年代になってようやく、日本政府は環境悪化の深刻さに気づき、一連の有効措置を講じて、50年余りを費やしてようやく日本の環境を今のような状態にまで回復させたのだ。 こうした経緯を知って、私は自分の故郷、北京に思いを馳せずにいられなかった。北京の環境はいつになったらこんなふうにきれいに整備されて清潔になるのだろうか?仮に今から北京市全体で行動を起こしたとしても、整備しなければならない面積と人口が東京の十数倍であることを考えると、おそらく一朝一夕では成し遂げられないだろう。 交通は都市の要だと言われるが、1300万余りの人口を持つ東京にとって、交通建設はとりわけ重要だろう。毎日自家用車が道路を埋め尽くす北京と比べ、東京では自家用車で出勤する人がとても少ない。通勤には、皆が便利で速い電車を選択する。東京の電車と地下鉄は四方八方に通じていると言っていい。スピードが速いだけでなく、路線も多く、この都市の隅々までほぼカバーしている。 清潔で整った環境、便利な交通、合理的な都市構造のほかに、東京という都市に住む人々にもはっきりとした特徴がある。 毎朝早く起きると、現地の人々、特に男性が通勤を急ぐ姿を目にすることができた。私と妻は街を歩いている時に、周囲の環境にどうもしっくりと合っていない感覚をよく味わった。ショッピングをしたり食べ物の店に行ったりすると、男女を問わず、誰も彼もが溌剌としていて、店員は客が買う買わないを問わずいつでも熱心に説明をしていた。 昼食の時間になると、男性社員の多くはファーストフード店を適当に探して短時間で食事を済ませ、すぐにまた仕事にかかる。立ち食いで済ませてしまう人も多い。夜7~8時は帰宅ラッシュで、電車の駅はまだ人の波であふれている。 東京の人々の生活リズムは速く、仕事のストレスもかなり大きいが、一人一人の勤務態度はこつこつとまじめで、厳格で真剣だ。この国内資源が極めて乏しい国の経済が敗戦後わずか60~70年で世界第二の資本主義経済体にのし上がったことは、この民族の少しもいい加減なところのない仕事の態度、厳格な革新精神と切り離して考えることはできないだろう。仕事の態度について、私たち中国人の大多数はこうした「堅苦しい」くらいの粘り強く物事にあたる精神を見習うべきだと思う。 今回の東京の旅では、掛け値なしの日本の礼儀正しさを目にすることができた。男性が仕事に出かける時はたいていがスーツに革靴で、女性は身なりを整えて化粧をし、優雅に装っていた。人々の間の対話はいつも礼儀正しく、穏やかで上品だった。唯一不足だったのは老人を大切にしないことで、日本の電車やバスで若者がお年寄りに座を譲るのを見かけることはほとんどなかった。北京のバスで大多数の乗客が争うようにしてお年寄りに席を譲る時にかもし出される温かさや親切さとは、かなり隔たりがあった。東京の電車やバスの車内では、人々はほとんど交流せず、お年寄りは本や雑誌を読み、若者は携帯電話を持ち、イヤホンをつけ、このエレクトロニクス大国がもたらすハイテク製品を自分だけの世界で楽しんでいた。 大型のショッピングセンターや公共の場所では、エスカレーターに乗る時にすべての人が自発的に左側に立ち、右側のスペースは急いでいる人たちのために空けてあった(日本人の習慣は左側通行)。最も感動したのは、東京の近郊にある箱根に向かう途中、不注意でカメラを箱根の観光遊覧バスに置いてきてしまった時のことだ。言葉が通じないというのに、60歳近い観光地の管理員が急いで内部通信システムを通じて運転手と連絡を取ってくれて、十分もたたないうちに、もう一台の戻りのバスで私のカメラを届けてくれた。このような失くしたと思っていたものが手元に返ってくる喜びは中国国内ではなかなか感じることができないものだ。 本文来源:https://www.wddqw.com/doc/0d2a1fd133d4b14e852468a3.html