古典文法

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第一章 上代の文学

日本の上文学は日本文学の発生期からすなわち日本国家生成の当初の大和時代から奈良時代末頃までの文学を指している。4世紀頃から平安遷都までは日本の政治、文学中心が奈良にあった。この時期の文学は漢字伝来のおかげで、記されて伝えられてきたが、前の文字のない時代の文学は口伝以外になかったため、今まで伝えられたものはごく少ないのである。こういうわけで、上代文学といえば奈良時代のものを中心にしていることが多い。上代文学の始めは明確ではないが、終わりは平安遷都までである。

日本では4,5世紀頃から統一が進んで大和朝廷のもとに日本最初の統一国家になった。大化改新と任申の乱を経て、8世紀初頭になって日本全国を支配する天皇制が確立するに至ったのである。この律令制が施行された天皇中心の国家は歴史の流れに順応しているので、活力に満ちて人々に希望を持たせた。奈良朝はこの前代の成果を受け継ぎ、豊かな天平文化を生み出したのである。

紀元82年ごろに成立された中国の漢の時代の『漢書』には始めて倭の記事が記されたから日本と中国との接触は記録以前からだと思われる。3世紀ごろから5世紀にかけて、日本は中国大陸との通行はたびたび行われていた。紀元607年、聖徳太子の命により小野妹子が第一回の遣隋使として隋に派遣された。これは遣隋使、遣唐使の皮切りとなった。翌年、隋使として裴世清と言う人が日本に行った。その後、894年までは遣隋使と遣唐使が約20回も派遣された。日本からの留学生、留学僧は中国でるように当時の隋、唐の政治や文化などを勉強し、吸収した。しかもその帰朝に際しては唐からいろんな文物、典籍をえて帰り、続けて勉強、研究したのである。このようにして、中国大陸から文物、技術、制度などを輸入した。その結果、日本は律令国家を確立し、思想の面では儒教などを取り入れ、文化の面では大陸の仏教や漢字や漢籍などを輸入した。日本に輸入された漢字は日本文学に画期的な影響を与えたのである。 上代文学には口承文学と記載文学に分けられる。口承文学は文字のなかった頃口辛口へと言い継がれてきたものである。上代文学の中で、口承文学は長い時期にわたって伝わっていたが、しかし記載されなかったので、後代まで残されるものが少ない。神話、伝説、歌謡、祝辞などは口承文学として口から口へと言い伝えられていたが、これらのものは集団から生まれたもので、個人としての作者がないのである。 7世紀の初頭になって、中国からの漢字の輸入によって、文字で文学を書き記すようになり、文学も口承文学から記載文学に変わり、従来の集団性格を持つ口承文学とは異質的な個人文学意識が生まれてきた。口承文学もこの時期に入って文学で記載するようになり、流動性を失って凝固されるようになった。

日本文学史で最初の整った本の形になったものはおそらく奈良時代始めの『古事記』『日本書紀』『風土紀』であろう。その後、漢詩文を模倣して作られた漢詩集は『懐風藻』があり、つづいて日本最古の歌集『万葉集』がまとめられた。『古事記』『日本書紀』『風土紀』に筆録された日本古代变事文学と『万葉集』に代表された上代抒情文学とは後世の日本文学に計りしれない大きな影響を与えた。それに上代の祭祀文学である祝辞、宣命も残され、古代の日本文化などを研究する時のよりどころとして重視されている。


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