终助词

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終助詞「ね」について

要旨 本稿では、日本語のおける終助詞「ね」について先行研究を概観した上、「ね」の意味用法、男女の用法の違いなどが検討してみたものである。 キーワード 終助詞「ね」;意味;用法;婉曲

はじめに

終助詞は新聞や論文のような書き言葉ではほとんど使われないが、日常会話の中では頻繁に使用され、また会話文で終助詞を伴わない場合は不自然な印象を与える場合が多いことは以前から指摘されていた。そのなかに、「ね」は代表的な終助詞の一つとして、たくさんの学者に研究されている。本稿では、ね」の基本用法について論じていきたいと思う。 終助詞「ね」について先行研究の概観

日本語の終助詞「ね」については、伝統的な研究として主に四つの観点がある。「聞き手目当て」の説である。この観点の説明について渡辺〔1968〕では、「聞き手めあてに発せられる言葉であり、叙述内容は無関係の存在であり聞き手に対する呼びかけをになうものである。その意味的な役割としては、聞き手に同意を期待しながら発する言葉である」と指摘されている。「共有情報」の説である。この観点の論述について神尾「1989,1990」では、『ね』は、現在の発話内容に関して、話し手の持っている情報と聞き手の持っている情報とが同一であることを示す必須の標識である。」と指摘されている。「内部確認行為」或いは「話して自身の情報の捉え方」の説である。この観点の説明について蓮沼〔1988〕では、「発話時において自分が述べようとしていること、ほかの何らかのよりどころとなるものとの間に、食い違いがないということを、話し手が話の場に持ち出し確認とする。」と指摘されている。「意識面から伝達面に転化する」の説である。この観点の論述について宮崎(2002)では、「終助詞『ね』の諸用法が、その場で確認したことを述べる(認識の現場性) という中核的な意味を独話助辞「な」と共有しつつ対話助辞として、独自に様様な聞き手めあての機能(同意要求、確認要求、行為実行の約束の要求)を獲得していく様相として記述できる」と指摘されている。 その他、宮崎(2002)では、『ね』は、文の内容を、何かと一致させながら聞き手に示すときに用いられる。聞き手の知識や意向との一致を問う用法や、話して自身の記憶や結論との一致を示す用法などがある。」と指されている。この観点が⑶を総括した上に提出られていると思う。本稿はこの論述を採用する。

終助詞「ね」の意味 軽く主張する意を表す。

「その辺の心配は要らないんだがね。(芥川龍之介・路上)

「僕なら、あの時、一緒に皆と散歩するね。君が帰ると云えば君を帰らして」(武者小路実篤・友情)

この二つの文は、話し手が自分の行動を判断する同時にその判断を聞き手に伝える。すなわち、話し手はその主張を一致させながら聞き手に示す。 相手に同意を求める。

「ありゃおもしろい本ですね。(夏目漱石・道草)


「それに家に金もあるのだから落ちづいて仕事が出来るから鬼に鉄棒だね。(武者小路実篤・友情)

この二つの文の命題部分は、話し手も聞き手も知っている一般的な知識である。話し手は聞き手の知識や意向との一致を問って同意を求める。

実際に、終助詞「ね」は上記挙げている意味を表しながら感動の意を表す機能もある。

「梶はこんなにゆっくり歩くのを見るのは、杏子には初めてのことだった。紅葉の並木道を通り抜けると大きい銀杏の樹にぶつかった。 『立派な銀杏だね』

梶はうっそうと大きい枝葉を広げているその銀杏の老樹の下で脚を停めて、それを振り仰いだ。(あした来る人)

この文を通して,銀杏の大きさに感動されている話し手は『銀杏は立派だ』という自分の主張を聞き手に示すとの結論が導き出せる。 今日はいいお天気ですね。 この文では、話し手は自分の感動を述べる同時にこういう感じが相手の同意を求める。

相手にたずね、返答をうながす意を表す。 「どうした。暫く見えなかったね。(武者小路実篤・真理先生)

「あら„„わたし怒るわよ。どうしてそんなことを言うの。先生、私が嫌いになったのね」(青春) この二つの文の中に、「ね」の機能は「確認を要求する」ということである。すなわち、話し手は自分の言ったことを聞き手に確認するということを要求する。この用法が成立できる条件について张惠芳2007では次のように指されている

也就是说本文所指定的“推量要求确认”,具备三大条件:1)说者推想听者具有确切的信息(信息的听着领域依存性)2说者的信息部确切性和主观推测性、3)说者向听者的询问性。

相手に念を押す意を表す。

「それじゃ君の藤木に対する気持ちの中に、やましいものは何にもないわけなんだね?」(福永武彦・草の花) 「なるべく、崖からまっすぐ、堀おろすようにしてくださいね。(安部公房・砂の女)

「~直子を大事にしたいと思うなら自分も大事にしなさいね。(村上春樹・ノルウェの森)

「でも、春樹には„„お願いよ„„絶対に言わないでくださいね」(菊田一夫・君の名は)

これらの例は勧誘や依頼などを表す命令文だというよりは、むしろ婉曲的な表現だと思う。依頼にせよ勧誘にせよ、いずれも聞き手の意向を尊重した表現であって、行為や動作の実現に対する強制的な感じがしないからである。すなわち、話し手の依頼性や勧誘性という気持ちを強化して、そうさせようとして話し手の希望を伝える。

終助詞「ね」の用法について男女の違い


終助詞「ね」は男女とも用いるが。接続上では多尐異なる点がある。 男性用語としては「ね」の上に「だ・か」などが付く(「そうだね。そうかね。)が。

女性用語の方は「わ・よ」などが付く(「そうだわね。そうよね」。また男性、女性両用としては「です・ます」などに付く

終助詞「ね」そのものは文の性別を決める機能がないと思う。決定的な言葉はその前の「だ・か・わ・よ」という四つの助詞だからである。 おわりに

終助詞「ね」について、従来の研究を検討するとともにその意味と用法も簡単に整理する。この期間に、終助詞「ね」の婉曲的なニュアンスを発見していく。「ね」は日本らしい表現だと思う。コミュニケーションを円滑に進めるために、話しては聞き手の立場や心情を正しく察知する必要がある。そして終助「ね」は会話の両方の潤滑油のような役目を果たしているに違いない。日本の文化は「察しの文化」とか「思いやりの文化」だと称せられる。相手の意見を何度も確認して同意を求める。いつも自分を相手に同調させ、相手の気持ちになりたい日本人こそ、「ね」のような独特な語感をもっている終助詞が創造できる。

終助詞「ね」は日本文化と極めて密接な関係がある。筆者はこれに対して興味深い。本稿を通して、「ね」の基本意味と用法が明らかになった。これを基礎にして、今度は終助詞「ね」と日本文化の関係を検討したいと思う。

<参考文献> 张兴、徐一平(2006) 试论『ね』的用法 日语研究 Vo1.3,No13.183-199

张惠芳 (2007)关于日语“推量要求确认”表达形式『だろう』『のでは Vo1.6,No3.28-44



萍「命令文における終助詞『ね』の意味用法」日本语言文化研究文集No.58-63



鈴木一彦、林 巨樹(1985)『研究資料日本文法⑦助辞編㈢』明治書院

坂本勉、玉岡賀津雄、松本充右(2003)「空主語文の処理における終助詞「よ・ね」の機能に関して」


本文来源:https://www.wddqw.com/doc/f013d5fa0975f46527d3e198.html